「レシピ、ですか。できないことは御座いませんが、ヒジリ様がお料理をする機会というのはまずないかと」
「えっ、自炊とかってできないんですか?」
 困ったようにアリーは眉を下げる。身分の高い者が自らの手を使い料理を作り、ましてや掃除をするなど常識として考えられなかった。前例がなく、興味としてする者も居ない。
 聖が過ごしてきた環境は現在の立場によって大きく変わった。ここに住む者たちは聖とは異なる感覚を持って暮らしている。ゆえに、齟齬が生じるのは仕方のないことだった。
「お菓子を作るのが趣味という方もいらっしゃいますし、お料理ができないということでは御座いませんよ。わたくし、ティオを呼んできますわね」
 シュナは口早に言うと料理を運んできた扉からどこかへ歩いていった。
「申し訳ございません。アレはまだ侍女としては日が浅く、落ち着きのない者で……」
 アリーは躾が行き届いていなかったことに恐縮する。
 聖は申し訳無さそうにするアリーと同じような顔をした。聖からすれば何が問題なのかすら把握していなかったからだ。なんとなく、侍女は慌てたり騒いだりしてはいけないのだと感じた。
「あの、シュナは俺のために急いでくれたんだと思うので……その、怒らないでやってください」
「ヒジリ様はお優しいのですね。分かりました。ですが、注意はさせていただきます。ああではあの子に安心して仕事を任せられませんわ」


 しばらくしてアリーが戻ってくる。彼女の後ろには一人のコックが居心地悪そうに立っていた。
「連れてきましたわ、ヒジリ様。こちらがコック長のティオです!」
「……主様から調理場を任されているティオです。主様の伴侶であらせられるヒジリ様が、私に質問があるということで参りました」
 仕方なく来たという気持ちが声色に混ざっているようだ。レシピのために呼んでもらうべきではなかったと後悔した。聖が命じたわけではないが、アリーは聖を思ってした好意だ。悪くは言えない。
 聖は椅子から立ち上がり挨拶をした。
「初めまして、上山聖といいます。お忙しい中お呼びしてしまってすみません。どうしてもこちらの料理のレシピを教わりたかったものですから……」
「レシピはお伝えできますが、貴方様に厨房に立っていただく訳にはまいりません。貴方様の様な方がそのようなことなさらないでください」
 またもや聖の望みはかなえられようとしない。生活を奪われ、趣味まで奪われ、何を糧に生きろというのだろうか。そもそも、そこまで制限される理由が聖には分からなかった。
 なんの感情の込っていない声の主、ティオを見つめる。
「何故ですか」
「高貴なお方は包丁など持たなくていい。まして貴方の様な方が料理好きと分かったら、取り入ろうとする者で調理場が荒らされてしまいます。もっとも、そのような方々は個人の調理場を持っているでしょうから、私がそちらに駆り出されることになるのでしょうが」
「貴方に迷惑がかかると」
「そうです。ですから止めていただきたい」
 自分のことは棚に上げ、聖は自分勝手なティオに腹を立てた。蓄積されていた不満が許容を超えたのだ。
「嫌です」
「なんと?」
「こんなになんでもかんでも我慢してるのに、これ以上あれもダメこれもダメなんて聞けるか!! 一個くらい我儘聞いてくれたっていいだろ!」
 声を荒げた聖に三人は驚きに目を見開いた。大人しく良い子にと外面での聖しか見せなかったからだ。
「まあまあ、ヒジリ様。落ちついてください。ティオもかわいい我儘を聞いてあげればいいじゃないですか。貴方、逃げ回るのが得意ではなかった? どうせまた他の者に任せる気でしょう」
 アリーが聖を宥め、ティオを窘める。ムッとしたティオが言い返そうとしたが、アリーの言葉はまだ続いた。
「ヒジリ様はもう少し我儘を言ってくださっていいのですよ。主様からもそう言いつけられています。突然こちらに連れて来られては不安も不満もあって当然です。それを少しでもなくすのが私たちの仕事です。ですから、どんどん我儘をおっしゃってください」
「そうですよ、ヒジリ様。ティオや私たちの都合などヒジリ様の望みに比べれば些細なことなのですから!」
 シュナもアリーに強く賛同し、任せろというように拳で胸を叩いて見せる。聖はなんだか嬉しくなった。二人の優しさと温かさを感じることができたのだ。その熱が聖の胸を温める。そして聖は強く、一人ではないのだと感じた。
「……あーもうわかりましたよ。俺が犠牲になれば良いんでしょう? うるさい貴族たちに笑顔で対応すればいいんでしょうっ?」
 ティオが舌打ちをし、くしゃくしゃと髪を掻くと諦めの声を上げる。不満が大いに含まれており、聖は少し申し訳なくなった。だか、聖の鬱憤も溜まっていたので発言を覆すことはしない。
「そうとなればここに台所を作りましょう。あっちでやったんじゃうるさくいう奴らが出ますからね」
「そんなことできるんですか?」
「力を使えば簡単ですよ」
「ああ、ティオ。作るなら部屋を分けてくださいね。食事の時に調理場が見えるのはよくないですから」
 シュナが注文を付けるとティオが右手をかざした。すると、空間が歪み、並行感覚が乱される。
 聖はくらついたかと思うとダイニングは狭くなった。すると、先程にはなかった扉があることに気づく。
「これでいいでしょう」
 やれやれといった感じにティオは言い、新しくできた扉を開いた。聖は突然の変化についていけず、うまく反応ができない。シュナに背中を押され中に入ると、そこには立派なシステムキッチンがあった。汚れ一つ無い三口コンロにピカピカのシンク。白を基調としており、作業台は聖の家にあったものよりも長い。
「う……わー、こんなことができるんですね……!」
 本当に違う場所に来てしまったのだということをまざまざと突きつけられた。一瞬にして個室ができるなど、現実世界ではありえない。この世界がいかに現実とかけ離れているかを理解するにはちょうど良い体験だった。
 聖はゆっくりと足を進め、システムキッチンに近づく。隣には大きな冷蔵庫があり、中を開けると沢山の食材が綺麗に並べて入っていた。
「これ、全部使っても良いんですか?」
「勿論。どうぞご自由にお使いください。足りない物は一度扉を閉めて念じれば出てきます」
「すごいですね。これって、魔法ですか? それともなにか別の機械とか?」
 身体では理解できても、頭ではそれが非科学的な物である事を簡単には受け入れてはくれない。より明確な言葉が聖には必要だった。
 そんな聖にティオは驚きを見せる。聖にそのような質問を受けるとは思わなかったようだ。
「まさか……貴方様は力を知らないのですか?」
「力とは、魔法ということでしょうか」
「ああ、今やって見せたような空間を変える力や物体に命令を送る力やなんかですよ」
「そういえば、ヒジリ様には教えていませんでしたね。天上界では力があって当然だったので忘れていました。申し訳ございません」
 恐縮したアリーに頭を下げられる。慌てて聖はアリーに顔を上げさせた。
「やめてください! ほんと、俺なんかに頭下げないでください! あ、あと、ティオさんも名前で呼んでくださいね。さっきからムズ痒いので」

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一年半ぶりくらいの更新です。
危うく二年経ってしまうところでしたw
ティオはだるそうに生きてる見た目30代くらいぼさぼさヘアーです。
そう言うの書くの忘れてました……。


11/07/12