水の音が聖の耳に入ってきた。薄く目を開け、何度か瞬きをすると瞼を開いた。リビングと同じ少し黄ばんだ天井ではなく、白いレースが目に入った。布団も幾分かいつもより柔らかい気がした。
 聖は右手で目を擦り、再度レースを確認した。頬を軽く抓ってみる。痛みがじわりと聖を襲った。
 そこで漸く、夢ではないと確信した。
「なっ、どこだよここは!?」
 急いで起き上がり、周りを見渡した。ベッドは後二人ほど大人が寝れる広さの天蓋式で、レースはそのカーテンだった。服はこれまた白く、ネグリジェの様なワンピースで、胸から下にレースがあてがわれ細かな刺繍が施されていた。尻をつけながら端まで移動し、足をついて立ち上がった。カーテンの間から脱出する。
 白を基調とした部屋で、シンプルながらも豪奢な家具が揃っていた。混乱と理解不能な出来事に、ふらつきそうになった身体を足に力を入れて支える。
「……とりあえず、出よう」
 フラフラと出口らしきドアに向かって歩き出した。どうやら正解だったようで、大人が五人、横一列で並んで歩けそうな程広い廊下に出た。一番奥の部屋で、右側には壁があり、左は遠くに壁が見える。戻って来るにしてもこれなら間違えないだろうと、少し安心した。
 聖は一本道を歩いた。西洋の城のような造りで、天井が高く、壁に並ぶ窓も大きい。丸い支柱が等間隔に壁から顔を出している。
 素足に大理石の廊下は冷たかった。歩き続けていると、段々その温度に慣れてきた。薄い服だが寒さは感じない。
 真ん中まで来ると、曲がるという選択肢が増えた。十字路で、真っ直ぐ進めば行き止まりと分かるが、左は廊下が続き、右は外に出るようだ。隣の建物と繋ぐ渡り廊下に壁はなく、どうやら庭のようだ。
 芝生が生えており、足への負担は少ないだろう。聖は右に曲がり、芝の上を歩いた。庭を一周すれば出口にたどり着けるだろうと思ったからだ。
 石はなく、芝がちくちくとくすぐったかった。空は晴れて太陽が心地良い。背に刺さる光が暖かく、少し安心した。
「……広すぎるだろ」
 幾ら歩けど緑は続いた。遠くを見れば、また別の建物が何個か確認できた。
 疲れからしゃがみ、寝転がりたくなった。だが、同時に今足を止めれば再び動かす気力も奪われそうで、行動に移せない。終わりが見えず、不安は募るばかり。帰りたい。
 これは今までの幸福の対価なのか。それならやはりあんなものいらなかった。返すから、帰らせてと心の中で叫んだ。
 不安や焦り、様々な感情が混ざり合い、泣きたくなった。奥歯を噛みしめそれを防ぐ。
 ふと、水の音が聞こえてきた。疲れからくる、喉の渇きに気付いた。聖は吸い寄せられる様に音のする方に歩いた。大きな建物がまた近づいてくる。
「あっ」
 音が大きくなると、噴水が現れた。大きな公園などにある円形の立派な噴水だ。だが、嫌味のない凝った彫刻は公園のそれとの違いをみせた。
「これじゃ、飲めないし」
 噴水は節水のため再利用していると聞いたことがあった。腹を下すかもと言う不安から聖は水を諦めた。日本の水道からでる浄水になれた聖の腹は強くはなかった。
 止まってしまった足を動かす気にはなれなかった。
 聖は噴水の側に座り、縁に背を預けた。
「これからどうすりゃ良いんだよ」
 これだけ歩いて人っ子一人として会わなかった。そもそも、人がいるかすらも分からない。
 見上げる空はひたすらに青く、雲を愛でることさえできない。雲があれば、あれはクリームパンだ何だと休憩を楽しめたというのに。
 胡座をかくように膝を曲げれば、足の裏が黒く汚れていた。
「洗ったら落ちるけど、また汚れるしなぁ」
 足裏の黒は服が白い所為か一層汚く見えた。手で擦ればボロボロと汚れが取れる。擦った手は反対に少し汚れた。
 汚れた手を噴水で洗い、ぶんぶんと振って水分を落とした。一瞬迷ったが聖はまだ濡れている手を服で拭いた。
「まぁ、こんだけ晴れてんだし、すぐ乾くだろ。それにしても、……何で俺に女物着せてんだよ。どう見たって似合わねぇだろ」
 右手でスカートを引っ張り、眺めた。
 クラスの平均と言っても過言ではない容姿に百七十を少し越えた身長。不似合いな格好に思わず笑った。必死に出口を探した自分も愚かに見えた。あの部屋で待っていれば誰か来たのではないか、と。
「疲れ損かー」
 再び座り、膝を抱えて小さくなった。
 知らない場所で自分一人しか居ないのではと言う心細さ。ぎゅっと自身を抱き締めた。
 暫くそのまま動かずにいると、声が聞こえてきた。
「こんな所に居た。探したんだからな!」
 全く、何で私が! と不満を言いながら声の主は聖に近づいた。
 顔を上げると、聖の前には金髪の美少年が眉間に皺を寄せて仁王立ちしていた、腰に両手を添えて。
 驚きと少年の美しさに目を見開き固まってしまった。天使が、側にラッシーは居ないのに俺に迎えが来たのか? と某アニメに自分を置き換えてしまった。
「おい、立て。私について来い」
 乱暴に言い放たれ、少年はスタスタと歩いて行ってしまった。
「え? ちょっまっ!」
 聖は急いで立ち上がり、彼を追いかける。
 振り返ることなく足を動かしていた彼にどうにか追いつき、後ろに続いて歩いた。
「着替えさせる時間など、ないだろうし。だが、御前で夜着は……」
 ぶつぶつと少年が何やら言っていた。
 あたりを見渡すと、先程の建物に似ていた。そう言えば起きたときも水の音がしていた。もしかしたらただ大回りに歩いただけだったのかもしれないと、自嘲した。
「ここだ」
 大きな両開きの扉の前で少年は止まった。くるっと聖の方に振り返る。
「いいか、くれぐれも失礼の無いよう。本来はお前のような人間が会って良い存在ではないのだ。機会を与えてくださった主に深く感謝することだ」
 彼の言い分では、聖は偉い誰かに会うらしい。
「俺、誰に会うの?」
 少年は至って真面目な顔で答えた。
「神だ」
「はぁ?」
 信じられない、ふざけているのかとも思った。しかし、少年はノックをし、連れてきたと伝えると、向こうから返事が来た。そして、扉を開けてしまった。
 神が居るというその部屋の。

 眩しさに聖は目を瞑った。少年は慣れているのか、そのまま歩いて中へと入ってしまう。薄く目を開き、聖も少年の後について入室した。
 目覚めた部屋とは比べ物にならない程広かった。入口から敷かれた赤いカーペットは二十数メートルも離れた階段まで続いていた。数十段上れば、豪華なイスに座った人が居た。階段の下と上に二人ずつ守るように立っている。
 少年は片膝を付き、頭を下げた。じっと見ていると睨まれ、聖も同様に膝を付いた。
「面を上げよ」
 低く聞き心地の良い声が部屋に響いた。聖は少年が立ち上がったのを横目で確認すると、膝を伸ばし、起立する。
「もっと近くへ」
 少年が歩き出し、聖も足を動かした。その距離に少しうんざりする。わざわざ長く幅をとる必要があったのかと。この部屋に来るまで、散々歩いたのだ。疲れが溜まっていないはずがなかった。
 無駄に高い位置に置かれている椅子。そこに座るのはこれまた無駄に顔の整った男だった。銀髪の長い髪を一纏めにして、左肩から下ろしている。さらさらと流れ、手櫛で梳いても引っかかることなく終わりそうだと聖は思った。
「よく来たな、聖」
 声色は幾らか喜びが感じられたが、顔は至って無表情だ。ピクリとも動かない表情を気味悪く思った。面が整っているだけ、尚のこと。
「……来たくて来たわけじゃないんですけど。なんで俺、ここにいるんですか?」

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出てきた攻めの人!
無表情キャラです。色々あって感情(表情?)が乏しいです。


12/25/10