三月に入り、そろそろ三森結人焦ってきた。無事に受験も終わり、志望校への切符は手に入れている。しかし卒業だ。高校と言う枠でしか関わりのなかった前川と大学では離れ離れになる。アドレスは知っているが彼女とメールなんてしたこともない。卒業式までの三日間でどうにかより濃密な繋がりを持ちたかった。
 正直に言ってしまえば、こんな合唱練習、パート別で男女はバラバラで、接点がまったくないものなどしている余裕はなかった。二月下旬まではだらけたムードだったにもかかわらず、式も近づき皆本気モードだ。抜け出そうものなら理由を聞かれ、即アウト。結人は変に誤魔化すことが苦手だった。普段から遠慮がない分、こういう時に足踏みしてしまう。
「はい、やめっ! こっちはいい感じだから、休憩挟んで二曲目やるぞ!」
 指揮担当が休憩を入れると、教室が一気にだ緩む。練習中の堅い雰囲気よりも肩の力が抜け、断然気が楽だった。
 結人は目的の人物を見つけ、椅子に座る彼に近づいた。
「や、り、ちんっ」
 ぎゅっと後ろから抱きつくと、びくっと彼の身体が揺れた。
「脅かせるな、ばか。あと俺ヤリチンじゃないから」
「バカ野郎! 童貞じゃないヤツなんかみんなヤリチンなんだよ。バカにすんな!」
「なにその論理。そんなこと言ったらほとんどの男がヤリチンになるよ」
 呆れた顔で結人を見るのは友人である克(かつ)哉(や)だ。彼と結人は高校からの出会いだったが、一年から三年まで続けて同じクラスになったこともあり気のおけない仲だ。
「他はヤリチンじゃないにしてもお前はヤリチンだろ。んで、まあそれはいいんだよ」
 結人は前に回り座る克哉の上に向き合うように乗った。不安定な手は彼の首に回し、自分の両手を絡める。甘えたように上目遣いをするが、笑い半分キモさ半分の心境だった。
「ご、そ、う、だ、ん」
「……はいはい。何ですか、王子?」
「はははっ、王子とかキャラじゃねえだろ!」
 結人は重心を前にして、笑いながらバシバシと克哉の左肩を叩く。少し顔をゆがめられたが、嫌そうではなかった。
 叩くのを止め、その肩に手を置いた。軽く目線が下がる。普段は逆だからか違和感を覚えた。
「なんだー? お前らまたいちゃついてんのか?」
 机三つ分離れた場所から声がかかる。クラス公認の仲だ、結人も笑いながら対応した。
「なんだ、竹内。うらやましいのか? いいだろ、イケメンの膝の上だぞ!」
「きめえ! 俺は女の子の膝の上に、ってむしろ俺の膝の上に女子乗せたいわ!」
「その選択肢あるならオレもそうするって!」
 克哉の手がぎゅっと腰を締め付け、強引により密着させられた。顔を見ると少し不機嫌そうだった。なんだこいつと思いながらも結人は完全に克哉を抱きしめた。服と服がぴったりとくっつき、無理な体勢からか少々背中が痛いが我慢する。
「なーに? かっちゃん嫉妬?」
「俺という者がありながら他の女の話はするな」
 これ以上はないのではないかという力を入れられた。内蔵が潰れるんじゃと不安になるほどの痛みだった。背中の痛みなど比べ物にならない。
「いだだだだだ! ちょっ、勘弁! 克哉、ストップ!!」
 バタバタと足を動かし抗議すると締め付けは無くなった。無駄な疲労感にぐったり克哉に体重を掛けていると、何だまたあいつらかという言葉が耳に入ってきた。二人のじゃれあいなど教室では日常茶飯事の光景だ。大した問題にはならなかった。
 過去に怪しいと疑われたことはあったが、克哉に彼女がいたことと、結人が彼女が欲しいと嘆いていたこともあり、それはすぐに解消する。結人に関しては幾人か疑問が残る者もいたが、本人は自分がそうでないのだから勝手に言っていればいいと無視を決めていた。
「ったく、なんだよ。……竹内の所為で話ずれたじゃん」
「すまんすまん。睦言の邪魔して悪かったな」
 突っ込む気も起きない。段々と離すのも面倒になってきた。
「克哉がなんか言えば良かったんじゃんか。てか、もうそろそろ休憩終わる?」
「そろそろ十分経つし、そうかもね。放課後聞くよ?」
「ん。じゃあ、それで」
 休憩が終わるまで克哉の上に乗っていると、立ち上がった際ガニ股が数分治らず違和感を抱えたまま合唱の立ち位置に着いた。そこから一時間半男だけで歌い、一時間女子との合唱練習をした。
 前川が斜め前、とはいても何人も挟んでだが、にいることで心臓がいつも以上に高なった。隣に聞こえるんじゃないかと一層、違う理由で心拍数が上がる。
 結人の視線は指揮と彼女に注がれた。どちらの方が多いかは言わずもがなだ。テンポは把握している。ずれることなく歌うことは容易かった。前川の声に耳を澄ます事も忘れない。合わさった邪魔な音は脳が勝手に排除してくれる。


「うん。良いんじゃないか。明日は式の全体練習があるから九時には教室に集まるように。今日は解散! みんなお疲れ!」
 指揮者は委員長が担当していたので、練習が終わった後そのまま軽く連絡をしてくれるおかげですぐに帰宅準備に入れた。結人は弁当箱と筆箱の入った焦げ茶色のリュックを背負い、前川をチラ見した。バレないようにとすぐに克哉に近づいた。
「かえっぞ」
 克哉も丁度黒のリュックを背負ったところだった。そのまま二人で下駄箱に向かう。上履きから履き崩したローファーに履き換えた。
 二人の家は地区こそ違えど同じ方向だった。結人の家が三区先にあり、克哉の家は学校から十分と掛らない場所にある。したがって、学校帰りは二人の時間が合えば外で遊ぶか克哉の家に行くかのどちらかだった。だがしばらくは受験があった為、結人が彼の自宅に邪魔する機会は減っていた。あってもお互い問題集とにらめっこの勉強会くらいだ。
「お邪魔しまーす」
「母さん居ないから先上あがってて。あ、手洗いうがいはちゃんとしろよ」
「はいはい、分かってますよと」
 ほぼ毎回交わされる台詞だった。下手をすると克哉は結人の母親よりも口うるさい。
 二階にある克哉の部屋に荷物を置き、二つ隣の洗面所で手を洗う。ガラゴロとうがいを済ませ、タオルで手と口を拭いた。
 克哉の部屋に戻り、彼が来るまでテレビを点けて時間を潰す。自室にテレビがあるとは羨ましい限りだった。結人が親にテレビかエアコンかどちらかだと言われたとき、ワンセグ片手に選んだ答えが正解だったのかは分からない。
「結人、開けて」
「はいはい」
 扉を開けてやると飲み物と菓子が乗った盆を持つ克哉が入ってきた。勉強机に一度それを置くとクローゼットから折り畳み式の小さなテーブルを出し、広げる。結人はコーラの入ったコップだけとり、一人先に飲んだ。炭酸が喉を通り口がさっぱりとする。
 トレイをテーブルに移すのを確認すると、結人もコップをそこに置き、側にあるベッドに寄りかかりながら座った。
「んでさ、オレどうすればいいと思う?」
「前川さんだろ? 告るか告らないかの二択しかないんだから、告ればいいだろ。卒業したら彼女、関西行くんだっけ? 付き合えたとしても遠恋だし、自然消滅がオチな気もするけどさ」
「告る前からそんなこと言うなよなー」
 求めていた答えとの差に不平を漏らす。応援すると言ったのは本気だったのかと疑ってしまう。所詮人の恋路だ、真剣には考えてくれないのか。
「お前が聞いてきたんだろ」
「そうなんだけど、違うだろー。普通こう、プラスなこと言うだろ?」
「俺にそういうこと期待するなよ」
 確かに克哉は告白されることはあっても自らすることはなかった事を思い出した。これだからイケメンは! と淡く怒りの様なものが湧き上がってくるが、顔の出来は遺伝的なものなので克哉に言っても仕方がない。彼の家族は美形ぞろいなのだ。見慣れてしまうとそれが普通の様な気がし、自分は平均にすらかすっていないんじゃないかと思い始める始末だ。
「あー、オレも一回くらい高校で彼女作りたかったわ。オレの高校生活ほんと花がなかったなって思うと……つらっ」
「俺も彼女といるよりお前との時間のが多かったからな」
「つったって両手で数えらんないくらい居たじゃん。高二の時かなりころころ変えてたよな?」
 ごくりとコーラを飲み、居心地の悪そうな克哉の顔を見た。
 記憶をたどると克哉の隣にいた子は一月同じだったことはなかったように思える。ヘタをすると二週間と持たなかった時もあった。その頃は特に克哉と過ごす時間が少なく、結人自身仕様がないと分かってはいたが、なんだか寂しく感じた覚えがある。
「あー、あれはね。うん。ちょっと荒れてたと言うか……若かったんだよ!」
 何を必死に訂正しようとしてるんだと思いながら、克哉が持ってきていたポテチを摘まんだ。興味がない訳ではないが、一年も前のことだ。笑い話で終わる思い出だった。
「一人にして、ごめんね?」
「いや、別にお前以外にもダチいるし」

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童貞奪われるだけのお話です!