扉を叩く音が響く。陛下の許可が下りるとギスランが盆を持って入ってきた。カップとユノが見たことのない甘い匂いの菓子が机に並べられる。
「お待たせして申し訳ありません。こちらがメールセン産の葉茶でございます。ユノ様にはグリフィス産のローザワンフの花茶をお持ちしました。お口に合うとよろしいのですが……」
「ありがとうございます。いただきます」
 紅葉した葉のように赤く色づいた花茶は上品な甘さを漂わせていた。ひとくち口に含むと甘さと苦味が程よく広がり後味はすっきりとして、初めてのユノでも飲みやすいものだった。
「とても飲みやすくておいしいです」
「ありがとうございます。お口に合ったようでなによりです」
 ギスランが末席に座り皆が一息つくと、ユノの今後についての話し合いが行われた。
「さて、財務大臣や労務大臣達にとやかく言わないようにユノさんの雇用形態について詰めていきまさしょうか。あまり時間がありませんので、要点のみで後は他に回しますが」
「私がすべて決めよう。そうすれば誰の手も煩わせまい」
「陛下のご意見だけでは頭のおかしい結果になりかねませんからね。きちんと他の目も通させていただきます」
 ユノは陛下とギスランのやりとりに何を言ったら良いものかと逡巡する。だが、どうやらギスランの方が一枚上手だったようで、言い合いが収束に向かっていった。
「……お前がいなければ私はこんなに面倒な職務になど就かなかった……」
「陛下にそのように言っていただけて家臣として身に余る光栄にございます。それではユノさん、簡単ではありますが労働時間についてお伝えしますね」
「は、はい!」
 陛下に見せる顔とは違いギスランの美しい眩しいくらいの笑みをユノは受ける。
「まず、少々朝は早いのですが四時半には持ち場についていただきます。陛下の着替えや洗顔用の水や葉茶などを用意していただきます。陛下は毎朝五時半には起床されますので、そちらに間に合うように準備をお願いいたします」
 村にいた頃は帝都にある様な時間に縛られていなかった。ここでは二十四時間に一日を区切り生活している。村ほどの人数であればそれでも問題なかったが、帝都の様に何千何万という人間が住む場所では時間を規定した方が互いにやりやすいのだと旅の中で教わった。
「はい。村では日の出と共に起きていましたので、大丈夫だと思います」
「そうでしたか。でしたら問題はなさそうですね。陛下の出勤後は会食がなければ昼までは自由時間としているのですが、よろしければこの時間に魔法についての勉強をしてはいかがでしょうか。無理強いはいたしませんが、ユノさんには授業を受ける権利がございますので」
「私が受けても良いのですか?」
 精霊使いとして勉学に励まなければならないとは伝えられていたが、仕事に就く以上暇をもらった時に学ぶものかと思っていた。それゆえに、ギスランの提案はユノにとって願ったりかなったりだ。
「もちろんです。精霊使いの授業は権利であり、また義務でもありますから。講師はこちらで呼びますので、お気になさらないでください」
「ありがとうございます! よろしくお願いします」
「基本的には陛下の会食の有無によりますが、ない場合にはそちらの配膳をお願いします。陛下の就寝時間にユノさんが合わせると身体を壊しかなないので、そちらについては業務外ということで構いません。よろしいですよね?」
「致し方ない。ユノは普通の人間だからな。私に合わせるのは難しいだろう」
 陛下は一体どれほどの時間働いているのだろうか、と聞きたいような聞いてはいけないような疑問がユノの中で生まれた。
「大体の流れは決まりましたね。本来であれば太陽の日は国民の休日なのですが、なかなか政務には当てはまらないもので……」
「すみません、あの、太陽の日とはいつのことなのでしょうか……」
 帝都に来るまでにダリオルたちから色々学んでいたきたユノだったが、まだまだ分からないことが多い。話の腰を折るのは戸惑われたが、互いの認識を合わせるためにも聞くことにした。
「ユノさんは月が三十日前後で区切られていることはご存知ですか?」
「えっと、一年は月を十二回に分けていると言うのは教わりました」
「そうです。十二ヶ月を一年として、三百六十五日で振り分けています。月は日で分ける他に週というものがあり、七日区切りでそれぞれの日にちに名前を付けています」
 それは神が決めた理だとギスランは言っていた。月の日火の日に続き水、木、黄金、土、そして太陽と定められている。太陽の日は週に一度の休息の日として、仕事に従事することを禁止していた。それは人間が脆いものと知っており、神が慈悲を与えて休日としたのだと伝えられている。
「今日は丁度週の初めにあたる月の日ですね。七の月の二十七日目。今月最後の週です」
「数日後に次の月に変わるということですね」
「その通りです。王族は年に一月程の休暇を法的に有していますが、政務によりけりです。陛下は即位されてから数年は休暇をお取りになられなかったものですから、下の者が取得しづらいと苦言を呈しているほどです」
 キズランは困り果てたと言うようにため息を吐いた。
「文句を言ったのはキズラン、君だろう」
「私は政務官の総意を伝えたまでです」
 苛立たしげな陛下にビクッと内心慌てたものの、ユノは大人しく静かに身を縮めた。不思議と恐怖は感じなかったが、驚きは隠せなかった。
「話が少し逸れてしまいましたね。すみません。ユノさんの場合ですと、侍従職に準じますので、年に八十日程の休暇を取得して頂けます。元々陛下はおひとりでご自身のことをこなせる方ですので、陛下とご相談の上申請をお願い致します」
「はい。分かりました」
「後は給金についてですね。ユノさんの拘束時間は少々特殊ですので、他の者よりも劣ってしまいますが、月に三万リラお支払い致します」
「さ、三万リラも私、いただけません!」
 数十リラでたらふく食べられることを知ったユノにとって三万リラは大金だ。衣服は旅の間に二着も購入してもらった。もう食費と家族への贈り物以外に使い道のない金銭はユノの身に余る。
「これでも他の者よりも低賃金なのですが……。受け取って頂けないと国が法を犯すことになってしまいますので、ご理解ください」
「ですが……」
 何度断っても言葉を多く知らないユノにはギスランを言いくるめることなどできなかった。
「帝都には銀行という金品を保管し自由に引き出せる機関がありますので、そちらに口座を作った上で月初めに振り込ませていただきます」
「はい……」
「詳しくは追って書面をお渡ししますので、そちらで確認してください。何かご質問はありますか?」
 今までの会話を元に疑問点を洗い出してみたが、ユノにとって初めてのことばかりで何を理解していて、何をしていないか判断がつかない。悩んでいるとユノは陛下から優しい声色の言葉をもらった。
「今すべての疑問を解決する必要はない。君の側には必ず誰か居るだろう。どんな些細なことを聞いたからといって、君を邪険に扱う者などこの城にはいない。一つずつこなしていけば良い」
「陛下……ありがとうございます。ご迷惑をかけてしまうかもしれませんが、よろしくお願いいたします」
「君が迷惑になることなど万が一にもない」
「そうですね。陛下がユノさんの邪魔をすることがあっても、その逆はありませんよ」
 そんなことある訳がないと思いつつ、ユノは二人の優しさに甘える。ユノは帝都に来るまでも来てからもたくさん優しくされた。このまま過ごしていればきっと自分の足で立てなくなってしまうだろう。そうならない為にも、ユノは早く一人前になり、恩返しをしようと心に決めた。
「時間が経つのは早いですね。侍従長を私どもの代わりに呼んできますので、後のことは彼に聞いてください」
「私が直接案内しよう」
「陛下は政務がありますから、そちらをきちんとこなしてください」

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この巻でようやく攻めの名前が明らかになります。