帝都は驚くほど活気に溢れていた。ユノが見たことのないほど多くの人が道を行き来しており、地面が見えない。これまで見てきた街と比べても一番人も物も多く、ユノには立ち向かえそうになかった。
「人がいっぱいいます」
「そうだな。ここはガルディアでも二番目に人が往来する都市だ。一番は港の街、シュワルセンだが」
「もっと多いところがあるのですか……」
 ダリオルの言葉にを聞いても、今でも目が回りそうだというのに、これ以上というのはユノには想像できない。
 獣車はどんどん奥へと進み、人気のない、ユノの五倍ほどの高さの門の前で止まった。しばらくして、また動き出す。
「正門は混んでいたからな。裏からで申し訳ない。今日は拝謁があったことをすっかり忘れていた」
「拝謁、ですか?」
「ああ。我々臣下が陛下にお目通りが許された日なんだ。とは言っても、すべての者が会えるわけではない。貴族を除く富裕層のみが拝謁できる」
 その場に行けることは非常に名誉あるものとされている。しかし会えるとは言っても、連なって何人かで挨拶のみ行えるだけだ。陛下からも全員に向けてわずかばかりのお言葉しか頂けない。
 そんな名誉あることをユノはこれから体験しようとしていた。魔力を持つ者が少なくなった今、人材は非常に貴重で国をあげて守り育てようとしている。ユノはその数少ないうちの一人なのだ。
「君の面会は明日の朝だ。この後は部屋に案内するからゆっくりするといい」
 獣車を降り、ハルトたちと別れた。
 事前に連絡してあったのか、すぐにダリオルに二階の部屋を案内された。寝室と浴室のみのシンプルな間取りにも関わらず、ユノの家よりもはるかに広い。置かれた家具の一つ一つに繊細で優美だが、温かみのある細工が施されていた。広さを除けば落ち着く空間にユノは安堵する。
「もう少し広い部屋を用意したかったのだが、他が埋まっていてな。不便かもしれないが、何か必要な物があれば侍女に遠慮なく言ってくれ」
「いえ、ありがとうございます。私には勿体無いくらいです」
「そうか。私はこれから別件があってな、申し訳ないが失礼するよ。明日は迎に来る。なに、堅苦しい面会ではないし、陛下もお優し方だ。服は洋服箪笥に仕舞ってあるからそれを着て待っていてくれ」
「何から何まで本当にありがとうございました。明日もご迷惑をおかけすると思いますが、よろしくお願いします」
 ユノの荷物は既に寝台の上に置いてあった。村を出た時よりも増えた荷を解いて箪笥にしまう。開いた箪笥の中には、移動中に買ってもらった服以上に立派な物が掛かっていた。青を貴重にしたそれは、ユノに良く似合うみたてになっていた。
「わぁ……」
 借りるにしても、汚すのが怖くて袖を通す勇気が出ない。なので、そっと蓋をした。
 箪笥を離れ、部屋をぐるりと見て回った。厠に風呂までついていて、一層怖気付く。大きな窓は露台に繋がっており、緑の絨毯を眺めることができた。生き生きと腕を伸ばす草木は調和が取れており、人の手が加えられていることが分かる。名も知らぬ彼らに癒され、もっと近くへ行きたいと思った。幸い、聞かされていた夕食の時間まで少し間が空いている。一瞬悩みはしたが、我慢できずにパタパタと着いたばかりの部屋を出た。
 近づけばより深い緑の匂いがした。嗅ぎ慣れたものより少し甘い。花の香りがそうさせるのだろう。
 空気がダツル村に似ていた。どこかキダツを思わせる、澄んた風が凪いでいる。
 少し進むと小川が流れていた。塀の中だというのに、こんな物があるのかとユノは驚く。王宮というのは家というよりは町なのかもしれない。
 ユノはしゃがみ込んで、水面に小さな手を伸ばした。旅の間、幾度となく試したこの行為を、僅かな望みを託して挑戦する。
 心の中で何度もキダツを呼んだ。これが正しいのか分からない。ただ、水があればキダツは答えてくれると言っていた。それを信じて続けるだけだ。
 キンと冷える水はユノを拒絶しているようだった。だが不思議と、僅かにだが温度を増していっている気がした。だんだんとそれが確信に変わっていく。心地よいぬるま湯に心が溶ける。
「……キダツ様」
 吐息が漏れた。目頭が熱く、泣きそうになる。手を握られた感覚がして、涙を堪える様に目を瞑った。すると、以前と同じくキダツが現れた。
 触れ合えたのは、たったひと月。それでも、思い続けた日々は、物心が付く前から始まっている。漸く目まえた愛しい人に会えないのは、ひどく辛いものだった。それに加え、初めて村を出た不安や家族を思う気持ちが、ユノの緊張の糸を張り詰めさせていた。
 だが、一度キダツに触れたことで、すべてが消し飛んだ。
「――キダツ様っ!」
「ユノ、元気にしていたかい?」
「はい……はいっ。僕は元気です!」
 変わらないキダツに安堵した。彼の笑顔につられて、ユノの頬も綻んでいく。
「ごめんよ、ユノ。何度も合図をくれていたのに掴むことができなくて。どうにも線が薄く、結び付けられなかったんだ」
「いいえいいえ。それはきっと僕の魔力が低いからです。パルマンさんに言われました。僕の魔力はまだ発展途中だから少ないと」
「それはその通りだ。ユノに魔力はまだ小さな芽だが、それでも私が気付ける程度ではあるんだ。だから不思議でね」
 貰ったばかりの魔力はまだ完全とは言えない。それでも植え付けた張本人には僅かであっても感じられるそうだ。加えて、キダツはユノの龍神だった。思いの強さが魔力に加算され、キダツに伝わる。故に、ここガルディアにおいてユノからの信号を受け取れない場所などない。
「もしかすると私よりも上の判断かもしれないね。そうなると私はどうすることもできない。考える事すら不要だ。そうだね。そうに違いない。ユノも気にすることはない。一度繋がったんだ、これからはもうこんなことは起きないはずだよ」
 キダツが納得した今、ユノが気にする必要はない。彼に分からない事がユノに分かるとは思えなかった。
「分かりました」
「うん。いい子だ。それにしても、ユノが元気そうでよかった。こちらは煩い子らもいたが概ね問題はなかったよ」
 きっと長たちだとユノは思った。何せ背中の文書を写さずに来てしまったのだ。万病の薬が記されていると伝わる記しは、門外不出であり村の宝でもある。
「母様たちには面倒をかけてしまいましたね……」
「そうは思っていないだろうけれどね。ああそうだ。ラナには新しく背に印をつけたよ」
「え!? ラナは、ラナは無事でしょうか!」
 あの痛みを幼いラナが耐えられる筈がない。その身に受けた痛みを思い出し、苦しくなった。握った手に力が込もる。
「心配はいらないよ」
 キダツの表情と声とて悲しく歪む眉が解れた。
「私が針など刺さずに刻んだからね。痛みはおろか気付いてさえいなかった」
「よかった……よかった! ありがとうございます! 本当に、よかったっ」
 針が身体を刺した時、ラナが巫女をやらずに済んでよかったと心から思った。修行もそうだが、儀式で痛みに耐え、苦痛に歪む母の顔を見ずに過ごせるのだから。今でも思い出す。そして、あの時母が言った言葉を理解することができた。巫女は皆、あの儀式を耐えてキダツと婚姻を結んだのだ。生きた時間の殆どを神に捧げる。ユノはそれを不満とは思わなかった。それはキダツに会えたからだ。今までの巫女たちもユノと同じ気持ちだったに違いない。生まれてきた時点でキダツを愛するように身体ができているのだから。
「不安にさせてしまってごめんよ」
「とんでもないです! 本当にありがとうございます。ラナが無事でとても嬉しいです」
 ラナの修業は成人までに間に合わないかもしれない。今までのように、ヒウと遊ぶ時間も無くなってしまうのだろう。泣いてしまわないか、それだけが心配だ。
「さあ、この話は終わりだ。今度はユノの話を聞かせてくれるかい? 村を出てどんなことをして過ごした?」
「はい。僕は――」

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やっとキダツにあえて攻めにもあえてという感じ。ユノは攻めはちょっと変かもって思っているかもしれません。