獣馬に引かれ馬車が来たのは、ユノが巫女業に従事して一月という頃だった。今ではリナの容体も良くなり家事はラナと二人で行っている。
ユノは午前の仕事を終え、昼食を取りに家へ戻ろうと正殿から出る。でこぼことした道を慣れたように歩き、村まで下っていく。
祀る神であるキダツに今日の村や山の状況を尋ね、異変があればそこへ向かい清めの作業をする。午前の作業はこれだけで、変わった個所がなければ二人で会話を楽しむ。主に互いの共通点である母、リナのことだ。そこからキダツが昔住んでいたという天界の話に発展したこともあった。神である彼にもユノの様に母が居り、父もいるそうだ。優しく強い母であったと話していた。兄弟も覚えきれないほど存在し、会った事のない者もいるそうだ。
こちらに下りてくる前には妻もおり、両親には遠く及ばないにしろ四人の子供がいるそうだ。妻とは下界に来るときに別れたと言ったが、特に後悔というのは見られなかった。何故別れたのかと聞けば、恋をしたからだと寂しそうに笑って言った。
「彼女は私と同じ時間を生きてくれなかったからね。……その代わり、君たちの様なかわいらしい妻を持つことができた。私は嬉しく思うよ。こんな幸せな人生はない」
温かい瞳をユノは一身に受けた。妻としては不完全な自分が申し訳なくなる。そういった気持ちが表情に出てしまっているのか、決まってキダツはぎゅっと抱きしてめてくれた。深い水底に居る様な気分になり、悩みなど息と同じで水面に触れてぱちんと消えてしまう。
「また、その方と同じくらい……いえ、それ以上にキダツ様が心を寄せる方に出会えると良いですね」
「そうだね。そんな日が来ればきっと私も……。さ、暗い話はやめにしよう。ああそうだ、私の両親のまた可笑しな思い出話をしようか。あれは――」
夫ではあったが、ユノはキダツを父の様にも思っていた。家族の温かさに包まれて、面白おかしく話をしてくれる。巫女になるまでは不安でいっぱいだったが、こんなにも幸せならばもっと早くなりたかったとさえ思うようになっていた。
村にたどり着くと、そこは異様に騒がしくあった。ほとんどの住民が集会場に向かってざわめきながら歩いている。ユノは近くを通るものに声を掛け、訳を聞いた。
「あの、何かあったんですか?」
「ああユノ、お疲れ様。どうやら帝都から使いが来たらしいんだ。それで話があるからって長がみんなを集めていたところなんだ」
「帝都から? なんでまた……」
帝国に属している村とは言え、殆ど独立した様にこの村は影響を受けなかった。帝国の法はあれど、この村ではなんの効力も持たない。小さく奥まった場所にあったが故に、それを知る者もなく、独自の制度で成り立っていた。
「さあね。リナたちももう行ってるから一緒に行くかい?」
巫女装束であったため、ユノは一瞬私服に着替えるべきかと悩んだが急ぎの用と見て、彼と共に集会場を目指す。
広場には見たこともない豪奢な馬車が二体止まっていた。白を基調に金の蔦が渦を巻いている。そんな車体の前には二匹の獣が繋がれていた。足がユノの胴よりも太く、二足歩行だが顔は蜥蜴に似ている。ユノはわずかに恐怖を感じたが、向こうがこちらに興味すら持たないことが分かるとそれもなくなった。危害さえ加えなければ敵意は向けないだろうと踏んだからだ。
引き腰の小父さんを軽くひっぱりながらユノは古ぼけた、村で一番大きな建物の中へと入った。室内は各所でこそこそと話し声が聞こえる。ユノはラナを見つけると、小父さんに一礼し、小走りでそこに向かった。リナがいないところをみると、同じく見当たらない長と共に何かをしているのだろうと予想がつく。まだ巫子として日の浅いユノの仕事をリナに頼ることがしばしあった。今回は急でユノがすぐに動けなかったこともあり、リナが手伝うことになったのだろう。
「ラナ」
「ユノ! こっち座って!」
側まで来るとラナに手を引かれ、彼女の隣に腰を下ろした。ヒウと彼女の母親がラナの面倒を見ていてくれたようだ。
「ラナのこと、ありがとう」
「いいのいいの。一人も二人も変わらないから」
いつも任せてしまい迷惑をかけていると感じているが、つい彼女の言葉に甘えてしまう。ユノが幼かった時も何度も世話になった。まだヒウが居なかったので、よく彼女の元に預けられたものだ。
「なにかあったの?」
「さあね。あたしたちもただ集められただけで分からなくて」
帝都から人が来るなどたた事ではないとわかる。たが、それが何かとまでは情報の少ないユノには検討もつかなかった。
暫くして、長とリナが武装した五人の男を連れて扉から出てきた。一人だけ装飾が違うのを見ると彼が一番その中で地位が高いとわかる。
「みんな、待たせたな。集まってくれてありがとう。悪いが未婚者で成人した者、立ってもらえるか。それ以外は座っていてくれ」
長の言うままにバラバラと年の若い者たちが起立する。ユノは正式ではないが神との婚姻を果たしていた。立つべきか悩んだ末、一番遅れてゆっくりと立ち上がった。
不安に思ってユノはリナを見つめた。一瞬目が合うがすぐに離れてしまう。だがそれだけでも十分ユノの不安を小さくしてくれた。
「よし。そこのお前。白と赤の服を着ているお前だ」
兵士に指をさされ、確証が持てずキョロキョロとしていたユノは確信得る。どうすればいいか分からずユノは固まってしまった。
だが袴の裾を小さく引っ張られ、反射的に身体が動く。ラナが大丈夫かと不安そうに目で訴えてくる。その瞳のおかげで力が湧いてきた。
「はい」
「年はいくつだ」
「今年成人を迎えました」
声が震えてしまわないように、ユノは腹に力を入れた。周りからも不安が伝わってくる。それにのまれまいと手を強く握った。
「十三か……どう思う?」
ユノを指した男が他の兵士に意見を求めた。こそこそと小声で会話がなされ、ユノの耳にその声は届いてこない。
「名は何と言う」
「ユノと申します」
「そうか。ではユノ、君には一緒に王都に来てもらう」
一瞬にしてざわめきが起こった。煩いはずなのに、ユノにはそれが遠く感じる。キダツの居ない正殿に一人、置いていかれたような気がした。
「それは、どういう――」
「申し訳ございません! しかし、どうかユノを連れていくというのはお許しください」
長が豪華な鎧を着た兵士に待ったをかけた。ユノはこの村の巫女であり、神の花嫁だ。それだけではなく、ユノの背には代々伝わる秘密が書かれている。そう簡単に村から出すわけにはいかないのだ。
「ならん。陛下の勅命だ。各村に付き一人、帝都で仕えよとのご命令だ」
「ですが、ユノは神と契を交わした身。例え皇帝陛下であろうと神にあだなすことは出来ないはず!」
「口を慎め、陛下も神の子であらせられる! この地において陛下の命に反するは重罪なり!」
二人の言い争いの元であるユノは、遠くから優しい声が聞こえてくるのを耳にした。毎日聞きいているキダツの声だ。ユノがその声の主を間違えるわけがなかった。
『ユノ、ユノ。私の愛しい子』
ユノは心の中で「はい、キダツ様」とその声に応える。ユノが目を瞑ると、瞼の裏にキダツが現れた。
『もう別れの時が来てしまったようだ。もう少し遅いと思っていたんだけれど……』
「……どう言う意味でしょうか?」
ユノの声に不安が交じる。キダツの髪はふわふわとどこからか吹く風に揺れ、優しい春の匂いが香ってくる。いつもはユノを安心させる匂いだが、今は効果を発揮してくれない。
『はじめから別れが来ることは分かっていたんだ。それでも私はユノを愛しているからそれを受け入れた。少々早くて寂しいけれど。帝都にお行き。そこにお前の運命がある』
「キダツ様は、……僕をお捨てになるということですか?」
離れることが寂しくて、捨てられることが悲しくてユノの瞳から涙が溢れた。一ヶ月と短い時間ではあったが、キダツの存在は家族と同じくらい大きなものになっていた。
『違うよ。そうではないよ、ユノ。泣かないでおくれ。私は少ししかお前とは共にできないと分かっていたのに、それを拒まなかったんだ。これは運命なんだ。ユノが生まれた時から決まっていた事なんだよ』
止まらない涙をキダツは指の腹で拭ってくれる。ひんやりとした手は優しく、気持ちを落ち着かせる力があった。
「僕、キダツ様がだいすきです」
『私もユノが大好きだよ。どうか運命を恨まないで。君の運命はどこまでも君の幸せに向かっているから』
「……はい。悲しくて辛いけれど、神が定めた道に背くことは僕にはできません。……でも、どうかこれが最後にならないことを祈ります。また、僕はまた母様やラナやキダツ様に会えますか……?」
これから一人で知らない者達と帝都に向かうのだ。心細く、希望さえもなく生きなければならないのは苦しい。ユノはせめて、再び家族に会うことができると言う安心が欲しかった。何時になるかはわからない。それでも僅かな望みを手にしたいとキダツに瞳で訴えた。
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旅路です。知らないことだらけの扉があいちゃった感じです!