変わらぬ朝陽にユノは目を覚ました。
暖かな毛布から抜け出して、ユノは朝一番の仕事である水くみに出かける。膝ほどの高さの樽を持ち、井戸に向かった。
早い時間にも関わらず、ユノの他にも数人の人影がある。顔見知りで、近所に住む同年代の少年たちだ。
「おはよう」
「ああ、おはようユノ」
挨拶を交わして、一番仲の良いギウに近づいた。同い年の彼はユノよりもがたいがよく背も高い。それもあってか、ユノよりも二周りほど大きな樽を持ってきていた。
力も背もないユノは毎日二度汲みに来なければならない。家族三人分の水は、一往復では足りないのだ。
「いよいよ今日だな。これで俺たちも大人の仲間入りだ」
「そう、だね」
彼らにとって今日という日ほど重要な日はなかった。大人へと変わる。一人前の村人として、大人の男として認められる日なのだ。
しかし、それはユノを不安にさせた。
大人になるには儀式がある。適齢と言えど、儀式を通過しなければ大人としては認められない。
八十人足らずの小さな村で、ユノの家は異色だった。それ故、長子となれば儀式も普通の子供とは異なる。
代々巫女の家系としてユノの家は村に神に尽くしてきた。長子が十三になった時、代替わりが行われる。生まれてから今日まで家長であり巫女でもある母から、巫女としての作法を厳しく教えられた。
普段は優しい母であるが故に、将来のためにと、巫女としての母は厳しく指導するのでユノは少し苦手であった。だが、同時に憧れの存在でもある。
母のように立派な巫女になるのだと、日々努力していた。
「ほら、次お前の番だぞ」
「あ、うん。ありがとう。またね」
両手の塞がったギウはにこりと笑って家へと戻っていった。
早くしなければ混んでしまう。ユノは急いで井戸から水を樽に移した。
水瓶に注ぎ終え、朝食の支度を始めた。
ユノの母は禊に行っているため家にはいない。そして、五つ離れているかわいい妹はまだ寝ている時間だ。朝食ができるまでは起こさないと決めている。
ユノは村で採れた野菜を手際よく切り味噌汁を作る。昨日釣ってきた魚を焼き、母が準備をしていった米が炊き上がるのを待った。
そうこうしていると、扉の外から足音が聞こえてきた。じゃりじゃりと地面をける音は聞きなれた母のものだ。
一瞬そちらに気を取られたが、すぐに出来る範囲を済ませようと手を速めた。
「ただいま」
少し立てつけの悪くなった戸が開かれ、母が帰ってきた。そこには白装束を着た、とても二児の母とは思えないほど若く美しい女がいた。
「おかえりなさい。帰ってきてすぐで悪いのだけれど、少しここを見ていてもらえるますか。ラナを起こしに行きたいんです」
「分かった。行ってきなさい」
ユノはその場を母に任せ、ラナを起こしに寝屋に向かった。
ユノの家はさして広くはない。六畳の居間に六畳と四畳半の寝屋が二つ。台所は玄関と繋がっており、続く居間はそれよりも一段高くなっている。
六畳の寝屋に入り布団で寝ているラナに声をかけた。
「ラナ、起きて。そろそろご飯だから一緒に食べよ?」
布団の中でもぞもぞと小さな塊が動いた。
「ラナお魚好きだよね。昨日釣ったのおいしく焼けてるよ? 起きないと僕と母様で食べちゃうよ」
「んー……ラナがたべる……だめぇー」
掛け布団がずらされ、かわいらしい少女がひょっこり顔を出した。瞳はわずかにしか開いてはおらず、まだきちんと目覚めていないようだ。
両手が少し上げられ、引っ張れと主張する。ユノは仕方がないと小さく息を吐き、延びた腕を引っ張った。
ユノの後に続き、眠さに目をこするラナが居間に着いた。
ラナはそのまま机の前にぺたんと座り、ユノは食器に盛る母を手伝った。
並べられた朝食を前に三人は手を合わせた。
「いただきます」
母の声と共に食事が始まる。
ユノはゆっくりと噛みながら味わって魚を食べた。いつもよりも時間をかけるのは今日の正午に行われる成人の儀ではなく、日暮れと共に開始される巫女継ぎの儀から遠ざかりたかったからだ。意味のない逃避が続く。
「ユノ、すぐに一人でさせるつもりはないから安心しなさい。それに母が教えられることはすべて教えたつもりよ。大丈夫。あなたなら立派な巫女になれるわ」
ユノの不安を感じ取った母は優しく息子を諭す。
「僕は、……耐えられるでしょうか」
母ではなく巫女であるリナに気持ちを打ち明けた。
儀式は痛みを伴うものだ。巫女が守ってきたものを受け継ぐには日没から日出まで色を刺すのだとユノは聞いた。
その名の通り背負うのだ。
一針一針、背に色を乗せていく。それが巫女継ぎの儀式だった。
「私が絶えられたのです。息子であるあなたが耐えられぬわけがありません」
約二十年という間、リナは巫女として神にその身をささげてきた。受け継がれたものを守る守護者として、時には神と村とを繋ぐ依り代としてその役割を果たしてきた。
それが今日を境に終わりを告げる。神の加護は他の者よりも強いが、唯人に戻る。感慨深いものが彼女の中にあるだろう。
「……はい」
わずかではあるがユノの不安と緊張がほぐれた。
背中を押してくれる存在がいると言うのは安心を与える。ぐっと力強くリナを見た。
食事を終え、片付けをリナに任せたユノは成人の儀用の晴れ着に着替えた。黒の羽織に袴を穿いたユノはなんだか気が引き締まる思いがした。
召集が掛るまで半刻あまり時間が開いている。巫女装束に着換えたリナに神前へ行くと伝え外に出た。
裏手の緩やかな坂を上り、少し奥まった山の滝壺まで歩く。服が濡れないようにと気を配りながら滝の裏側にある洞窟に入った。
洞窟はせまく、大人が五人入れるかどうかという広さしかない。奥には祠があり、中には石で象られた龍の御神体がある。ユノはその前にしゃがみ、ゆっくりと手を合わせた。
今まで生きてこれたことの感謝とこれからの挨拶を心で唱える。滝の反響する音が自分を受け入れてくれている様な気がした。強く優しい、まるで母のようだった。
ユノが戻る頃にはユノ以外の成人を迎える子供は集まっていた。今年は例年よりも少し多く、五人の男女が儀式に参加する。
閉鎖的な村であるが、男女の差はほとんどない。住民自体も知らぬ者はいない程少ない為、強い発言権を持つのは長と巫女だけだ。個人に力があるだけで、家族は同じ村人として扱われた。
「最後だな」
ギウがユノに声をかける。彼以外の者はどこか緊張の色が見える。隠しているのか、はたまた緊張など家に置いてきたのかギウだけは落ち着いていた。彼はこの五人の中で一番頼れる存在だった。
「タッタ様に挨拶をと思って」
村の者は龍神を親しみをこめてタッタ様と読んでいた。滝に住まう龍、故にタッタ様だ。
「そうか。ユノはこの後に巫女継ぎの儀もあるんだもんな。頑張れよ」
「……うん」
二人が話し終え、時間になると五人は横一列に並んだ。儀式が始まる。
村の中心に位置する大木の前で四人の少年と一人の少女が立ち、そして長と巫女を含める五人の大人が太い幹を背に子供たちを見る。
ユノはじっと巫女を見つめる。
「これより成人の儀を執り行う」
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ここからさらっと儀式が行われていきます。
拘りたかったのですが、調べを怠ったため簡単にながれますorz
書き終えたらなおしをいれるので多少変わるかもしれません。