それは忘れもしない、アステルが五歳の時。
何度か親戚筋の子供たちとの集まりを経験し、貴族としての教育の最終試験とばかりに将来剣を捧げる主たる王太子殿下との顔合わせが執り行われることになった。既に兄二人は殿下と交流をはじめておりグラディウス家最後の一人となっていた。前夜は不安と期待とで少々寝つきが悪かったが変わらず朝は来てしまう。
アステルは眠い目をこすりながら兄たちと揃いの衣装に着飾って馬車で宮殿へと向かった。家族揃って出かけられることがアステルは嬉しかった。
「さあ着いたよ、アステル」
先に馬車を出た長兄シルトの手を取ってアステルも馬車から降りる。広くて豪奢な宮殿はあちこちキラキラと輝いていて忙しなく目を動かした。
気付いたら扉の前にいて城の者がノックをしてグラディウス家の来訪を伝える。扉が開くとそこには太陽が居た。眩しいくらいの金色に艷めく髪と瞳を見た瞬間、なぜだかアステルは涙がこぼれた。感情を抑える訓練もしてきたはずなのに込み上げてくるものを抑え込むことができなかった。
シルトになだめられながら何とか国王両陛下と殿下の前に跪き礼をとった。
「輝く太陽にご挨拶申し上げます」
「ああ、フォルティスよく来てくれた。みな、楽にしてくれ」
アステルはまた潤みそうになる目をぎゅっと瞑ってから顔を上げると、殿下よりも幾分かくすんだ色の髪と瞳を持つ陛下とプラチナブロンドを持った王妃が居たことに気がついた。まったく目に入っていなかったことに驚きつつも視線はやはり、兄と同い年くらいなのに整った凛々しい顔立ちの彼に注がれていた。
「初めまして、アステル。私はイリオス。そんなに見つめられると穴が空いてしまうよ」
両親が両陛下と話す傍で、少し離れて子供だけで集まることになった。距離が近くなることで腹の奥がきゅんと疼く。体の異変に戸惑い、思わずアステルはシルトの後ろに隠れた。
「ごめんなさい……。アステル・アパル・グラディウスです。初めまして……」
「申し訳ありません、殿下。普段はこんなに恥ずかしがり屋ではないんですが……」
シルトに押されてアステルはイリオスの前に立たされてしまう。次兄のアサートに視線で助けを求めるが笑顔で無視をされた。
「私が怖いか、アステル?」
尋ねられたアステルは急いで首を振る。
「違います……怖くは無いです! ただ、イリオスさまが眩しくて、なんだか体がそわそわして変なんです……」
「ははっなるほどね。もう少しこちらへおいで、アステル」
アステルは言われるままに勇気をだして踏み出せば、軽々とイリオスに抱き抱えられてしまう。同じ目線で間近でみる光は温かくて眩しくてそれでも目を離せずにいた。
「ああ、グラディウス家らしい綺麗な碧眼だな」
コツンとアステルの額にイリオスのそれがくっついた。その体温が香りがアステルを満たして苦しくなる。
「どちらがどちらだろうね」
アステルだけに聞こえる小さな声でイリオスが呟いた。五感がすべてイリオスに支配されたアステルはとろんと瞳を潤ませて、体の力が抜けて倒れそうになる。即座にイリオスが抱き方を変え支えてくれた。
「抱き方が悪かったみたいだな。すまない」
アステルの腕がイリオスの肩に周り全身がくっつくような体勢になる。自分では力を入れることができなくて、それでもいっそう触れたくてわがままを口にした。
「もっと、ぎゅってしてください」
「もちろんだ、私のかわいいお星さま」
ふわふわと飛んでいってしまいそうな体が強くけれど優しく抱きしめられて泣きたい気持ちと嬉しい気持ちが同時にやってくる。何かを叫びたくなるがイリオスの肩口にぐりぐりと頭を擦り付けて誤魔化した。
「アステル! 殿下、申し訳ありません。変わりますので……」
シルトの慌てた声に二人きりではなかったことを思い出した。離れたくなくてイリオスに預けた腕に力が籠る。
「よい。私が抱きたくて抱いているのだ。しばらくはこのままでいさせてくれ」
「……殿下がそう仰るなら……」
その日は帰るまで抱き上げられるか手を繋ぐか、必ずどこか肌が触れ合って過ごした。最後の別れに離れたがらないアステルをイリオスが抱き上げて頬に口付けてくれた。
「秘密だぞ。またすぐに宮殿へ遊びにおいで」
「……はい!」
へらへらと満面の笑みを浮かべるアステルはそのまま家族へと引き渡された。
知らぬ間の疲れと前日あまり寝れなかったこともあり、その夜はぐっすりと寝ることができた。夢でもイリオスに会えてアステルは幸せな一日を過した。
初めての顔合わせから半年が経ち、その間にも幾度か王宮へ遊びに連れられていた。その日は初めてアステルが一人でイリオスに会いに来ていた。
アステルはイリオスを独り占めできると予定が決まってからずっと浮かれていた。会う人会う人にイリオスと二人きりで遊ぶことを自慢して微笑ましがられた。
「小さな太陽にご挨拶申し上げます。……こんにちは、イリオスさま!」
「ああ、こんにちはアステル。よく来たね」
お行儀の良い貴族の挨拶の後、イリオスが軽く両手を広げる。待っていましたとばかりにアステルはぎゅっと抱きつき彼を目一杯感じた。
「お会いしたかったです。……へへっ、今日は二人っきり、ですね!」
「私もだ。そうだ。煩く言う邪魔者が居ない、二人きりだ」
くすくすと笑うイリオスを見てアステルはより笑みを強めた。二人きり、とは言っても護衛や側仕えの者たちは少し離れた場所に立っている。侯爵家で暮らすアステルにとってもそれは日常風景だったが、当然王室とでは人数が違う。それでもアステルにはイリオスしか見えておらず、些末な事だった。
「今日は庭を散策しないか? ちょうど木苺が生ったんだ。一緒に摘んでジャムやケーキにしてもらおう」
「木苺! 甘酸っぱくて好きです! イリオスさまに一番美味しいのを食べさせてあげますね!」
手を繋いでアステルは足どり軽く跳ねるように目的地まで歩いた。見上げれば一つ年上の大好きな人がいる。腕に抱きついても温かい笑みで許してくれた。歩幅も小さなアステルにあわせてゆっくりと進んでくれる。ご機嫌なアステルがすぐに出来上がった。
「あ、木苺だ! イリオスさま、見てください! たくさん生っています!」
「本当だ。全部集めたらアステルよりもありそうだ」
「僕の方が重いですよ。毎年身長もいっぱい伸びてます!」
背伸びをしてイリオスの目線に近づける。まだ少し足りないけれど、小さくないことは見せられたはずだ。
「確かに。アステルの方が大きそうだ」
イリオスはひょいとアステルを抱き上げて木の前まで進んだ。そのまま支えていない方の手で木苺を摘むとアステルの口元に運ばれた。チラリとイリオスを見やって薄く口を開けると隙間に押し込まれ、彼の指がアステルの唇に触れた。反射的に食もうとして閉じた口内に甘酸っぱ味が広がる。
「おいしいか?」
未練がましくイリオスの指を目で追いながら上の空でアステルは答えた。
「……おいしい、です」
「君は正直だな」
おかしそうに笑うイリオスを見て少し恥ずかしくなる。
アステルが腕の中から下ろされて本格的に木苺摘みが始まった。
「たくさん取れたらまた私が食べさせてあげよう。アステルも私に食べさせてくれるか?」
「……もちろんです!」
ご褒美をチラつかされたアステルは摘みごろの木苺をたくさん取って侍女が抱える籠をいっぱいに満たした。イリオス用の籠を見るとそちらも山盛りになっていた。
ちょうど太陽が中天に昇り、二人は近くの木陰で昼食をとることにした。並んで座る二人の間に準備されたのは片手で摘めるようなサンドイッチや一口サイズのオードブル。儀礼的に招いた側であるイリオスがいくつかの料理を一口ずつ毒味をする。
「さあどうぞ。食べたいものがあれば取ってあげよう」
アステルの手が届く範囲にも並べられていたがイリオスの好意を無駄にするアステルではなかった。サンドイッチとハムとチーズや野菜などが一口で食べれるよう串に刺さってるピンチョスを皿によそってもらう。受け取った皿からサンドイッチを一つ掴み取りパクリと口に含んだ。シャキシャキとした葉野菜の食感も楽しめた。
「美味しそうだな」
「イリオス様もサンドイッチ食べますか?」
お返しとばかりアステルは自分の皿を脇に置こうとしてイリオスに手で制止される。どうしたものかと疑問符を浮かべながら彼を見やった。
「一口食べてから考えたいんだが、良いか?」
「いいですけど……食べかけですよ?」
「もちろん知っている。美味しそうに食べていたからな」
提供してくれたのはイリオスだが、毒味と同じだろうとアステルは頷き、食べかけのサンドイッチをイリオスの口元に運んだ。するとちょうど噛み跡のついた場所にイリオスが口を付ける。
「うん。美味しいな。ありがとう、アステル。私もこれをひとつ食べるとしよう」
「はい、ぜひ。……あの、これ、僕が食べてもいいのですか?」
「もちろん。それはアステルが食べていた物だろう? 私が口をつけたのが気になるなら新しものを取ってあげよう」
「これ、これがいいので! 大丈夫です!」
悲しみを孕んだイリオスの瞳がキラッと輝いた。高鳴る胸を落ち着けようと深呼吸をしてから一口含む。何故か先程よりも甘く感じた。もう数口食べるとサンドイッチはアステルの腹にすべて納まった。
「アステル、これも美味しいぞ」
ハムとオリーブのピンチョスを差し出され、アステルはパクリと一口でそれを食べた。咀嚼する間、イリオスの視線がアステルの口元に向けられ少し恥ずかしさを覚える。
「君も何か私に食べさせてくれるか?」
アステルは何度も頷き肯定を表す。
「イリオス様、僕の摘んだ木苺、食べてくれますか?」
「もちろんだ。どれを食べさせてくれる?」
籠いっぱいに入った木苺から大きさや色艶から一番美味しそうなものを選び親指と人差し指で摘みとった。そのままイリオスの方に持っていくと形の良い唇が開かれ、紅く照る舌先に木苺を乗せようとした。むにっと柔らかく温かい感触が指先に伝わる。爪が歯に当たってしまい思わず手を引っ込めた。触れたところから熱が全身に広がるようで心臓がうるさくなる。腹の奥に一番熱を感じて、すがるようにイリオスを見つめた。
「うん。アステルが選んでくれたからかこれまで食べたものよりも美味しいな」
イリオスの柔らかい笑みにすでに早鐘を鳴らしていた心臓が痛いくらい跳ねる。呼吸が荒くなり、アステルは苦しさに目を潤ませた。
「アステル、大丈夫か? こっちへおいで」
イリオスは苦しむアステルを軽々抱き寄せて、膝の上に横抱きにして座らせる。胸痛の原因はイリオスだと言うのに、彼の匂いと熱に体が弛緩し落ち着きを取り戻していく。
「……イリオスさまぁ、ぎゅってしてください……」
「私の星が望むならいくらでも」
イリオスに優しく包まれるように抱きしめられたアステルは彼の胴に腕を回し抱き締め返した。首筋に顔を寄せて目を閉じる。どくどくと規制正しい彼の心音が心地よい。スンスンと甘い香りを堪能する。
もっと体に触れたくて身じろぐとイリオスが腕を緩めてくれた。できた隙間で足を移動させ向かい合う体勢に変える。接する面積が増えアステルは満足気に頬を緩めた。
「だいすきです、イリオスさま」
「私もだよ、アステル」
「ずっと、ずーっとこうしてくっついていたいです」
アステルは抱きしめる腕に力を込めた。
「まだ先の話だが、私が十になる年に私の婚約者候補を決めることになる。アステルにはその前にバース判定を行ってほしい。きっと私たちにとって好ましい結果になるだろう」
「好ましい結果、ですか?」
「ああ。こんなにも惹かれあっているんだ。今診断しても微弱な反応がでるだろうが、君と私のどちらかがアルファでどちらかがオメガだろう」
「アルファとオメガならずっと一緒にいれますか?」
アステルは体を起こしイリオスの目を覗き込んだ。金の瞳は輝いていて少し眩しくてアステルは目を細めた。
「惹かれ合うアルファとオメガを引き離すのは雷神ゼゥトールの雷槍に刺されると言うからな。死にたがり以外はそんな愚かな真似しないさ」
「それは痛そうです」
「ははっ、そうだな。けれど、だからこそ、私たちが望む?ずっと一緒?が叶うんだ」
イリオスは両手でアステルの頬を包み額、頬、口元の順にキスをした。アステルは嬉しさの許容量が超えてしまい頭が真っ白になる。イリオスの支えがないと倒れてしまいそうだった。
「アステル、私のお星さま……。早くこの秘密を公然のものにしたいな……」
「……秘密じゃないキス、いっぱいできますか? 僕も、イリオスさまにキス、してもよくなりますか?」
「おや、アステルからキスしてくれるのか? それなら今だってしてもいいんだぞ? 二人だけの秘密のキスなのだから」
アステルは緊張しながら目を瞑り、イリオスの頬にキスをした。想定外だったのはイリオスが顔を動かしたことだ。
「残念」
「く、口のキスは夫婦がするものですよ!」
あと少しずれていたアステルはイリオスの口角に口付けてしまうところだった。
「いずれ夫婦になるのに?」
「だって、まだなってないです……婚約だってしてません」
「分かった。では婚約したらたくさんしよう。それまでは我慢する」
ちゅっとアステルの額にまたキスを落としイリオスは離すまいと彼を抱きしめた。
end
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珍しくペーパーとかじゃないただの? 更新です。
幼少期2まではwebで公開予定!(まだ何も書いてない……)
その後のえっちなところは春庭の本になる予定……(まだ何も書いてない……)
01/04/25