フレイは緊張からか、夜中に何度か目を覚ましてはまた入眠するを繰り返した。再び目覚め、時計を見てようやく起きる時間だと体を起こす。寝起きに頭が働かないことは通常通りだったが、何時にも増してその傾向が強くでた。十五分ほどぼうっと脳が覚醒するのを待ち、ベッドから立ち上がる。
 この学院の寮には各部屋に簡易キッチン、シャワールームそしてトイレが付いている。フレイの部屋にはこの他にクローゼットとテーブルセットが置いてあった。
 キッチンで湯を沸かし、その間にシャワールームに入りトイレ横の洗面台で歯を磨く。いつも以上に丁寧に磨き、顔を洗い終わると湯が沸いた音がした。
 のたのたと数歩進み、火を止めて棚から取り出したティーポットに茶葉と湯を入れる。テーブルにポットとカップとジャム、そして朝食用の少し硬めの丸いレーズンパンを置いて食事を開始した。
 手で小さく千切ったパンを飲み込めるまで咀嚼する。しばらくしてティーポットからカップへお茶を注ぎいれ、ジャムをスプーンで二掬いしかき混ぜた。溶けきってからも少し冷めるのを待ち口に入れる。深い溜め息をついた。
 選定の時間まで後一時間ほどある。それまでこの緊張感を味わわなければならないかと思うと、ひと思いに殺してくれとフレイは思った。
 食事を終えて、念のためと普段はしない二度目の歯磨きと着替えを済ませると、鏡の前で焦げ茶色の髪をブラシで撫で付ける。髪よりも薄い茶色をした瞳にどこにでも居そうな顔立ちは、街に出ればすぐに紛れてしまう。さして気にしてこなかったが、今日ばかりは少しだけ目についた。不快感を与えなければ御の字だと思い、フレイは発表が行われるホールを目指して部屋を出た。
 最終学年であるフレイたち三年生以外は通常通り授業を行っている。その所為か学院は静まり返っており、フレイの緊張感を高める一因となった。
 まばらにホールへ向かう人たちが見えてくる。フレイほど強張っている人間はいないのではないかときょろきょろ人々を見渡した。知り合いを見つけて少しだけ緊張の糸が解れる。お互い目があってもこう言う日は手を振るだけに留めた。
 ホールが見えてきて、中へ入ると皆並べられた椅子に座っている。フレイも予め指定された座席へと向かい着席した。名前順に呼ばれるため、席は前方だ。早く相手が分かる家名に感謝した。
 定刻を知らせる鐘が鳴り、前方のステージに数名の教授が並びその一人が話し始めた。
「三年生の皆さん、お集まり感謝する。そしてエイプターの者は昨年からよく頑張った。これからが大変だが、我が国のために協力してほしい。これは神聖なものであると同時に国民の義務である。皆にはよき遺伝子、よき国民を育成するため励んでほしい。では、名前を呼ぶので呼ばれた者から壇上にくるように」
 名前が呼ばれ始め、ついにフレイの番がきた。胸が早鐘を打ち、震える脚で立ち上がる。ステージに向かい、滞りなく自身の名前が書かれた封筒を受け取った。そのままホールの外へ流れ出ると、皆立ち止まることなく自室へ帰って行く。フレイも同様に、来た道を心持ち足早に戻った。
 ばたんと戸を閉めて椅子に深く腰掛ける。封筒をしばし見つめ、息を整えた。
 フレイにとって性行為は初めてではない。例え行為が初めてだとしても魔法で痛みも少なくできる。
 昨年から飲み始めた薬のおかげで子宮もうまく形成されていた。その所為で一時期成績が二桁台にに順位を落としたが実家に就職予定のフレイにはさほど痛手ではなかった。
 自らに問う、何がそんなに不安なのかと。これから始まる行為は国民の義務であり、誰しもがどちらかの立場で行わなければならない。国が定めた相手で相性の悪い者同士がペアリングされることはなく、また、貴族であれば階級も同等のことが多い。同学年の男爵家系のデディアーとなればかなり絞ることができる。友人も居れば二言三言しか話したことがない者もいた。特に悪い噂を聞く者はいない。難しくとも一年で縁が切れる可能性もある。気楽に行こうと勢いよく封筒を開いた。
 中には一枚の紙が入っており、そこにはフレイの相手となるデディアーの名前と午後から面会する部屋の番号が印されていた。
「うっ……そだぁ……書き間違いでは!?」
 歴史の浅い男爵家三男には不釣り合いな名前が書かれている。由緒正しき公爵家嫡男であり文武両道眉目秀麗で密かにファンクラブができているルーカスの名前がそこにあった。フレイも入るか悩んだミーハーの一人であり、傾倒している自覚もあった。
「これは、あれかな? 誰も来ないのはルーカス様も不安がるだろうからとりあえず行くだけ行って、担当教授か学院長へ訂正を依頼すれば良いのかな?」
 腹が決まればフレイは緊張から解放された。誰が相手でもこの間違われたカード以上に精神的負荷がかかることはないだろう。
 今日は授業はなく、カードを受け取れば昼食後の面会までは自由時間だ。名前が早く呼ばれたフレイには昼休みまで二時間程の余裕がある。かといって研究室で実験を進めるには時間が足りない。仕方なく、これまでの研究結果をレポートにまとめる事にした。
 フレイの実家は庶民から貴族まで様々な人を相手にする商家であり自社開発も行っている。主に家具や雑貨を扱っており、中でも魔導家具の開発力や品質においては本国でも指折りだった。技術の発展に貢献したこと、そして少なくない金額を税とは別に国に寄付を納めたことで男爵の位を授爵したのはフレイの祖父の時代だ。
 フレイの家系にはフレイのように技術者として優れた者と商人として優れた者がいた。おかげで今日まで傾くことなく右肩上がりの成長を続けている。
 フレイが発明した自動洗濯機はかつてないほど売れ、開発部隊では更なる改良が行われていた。特に消費魔力の削減は素晴らしく、フレイの試作機から四分の一ほどで動くようになっている。フレイには発想力はあれど、平民にしては魔力量が多く、多少無理な魔力設定でも動かせてしまう。それをどうにかするのが得意な人材が開発部隊には複数人いた。彼らなしにはここまでの売上は出せなかっただろう。?
 乱雑にメモをした内容を論理立てて記述し他者が見ても分かるようにしていく。フレイの入っている研究室の自席には資料の山ができており、倉庫には数え切れないほどの試作品が積まれている。約一年後の卒業までに片付けられる自信は全くなかった。そもそも在学中の妊娠が推奨されているため、エイプターであるフレイが去年までのように過ごすことはできないだろう。
 ただ昨年も子宮形成薬の投薬が始まり何度か体調不良となったため、常に好調だったとは言い難い。エイプターは負担が大きいことから単位や就職に加点がつく。そうでないとデディアーと同等の評価が得られないからだ。
 エイプターに選ばれた生徒の学院最後の二年間はそれまでとは全く異なる。体が作りかえられるのだから当然だ。子宮が作られても行為の一時間前には卵生成薬を服用しなければ受精できない。フレイは確認以外では今夜初めてその薬を飲むことになる。飲んだとしても受精率は男女のそれと差はない。よって何度も繰り返し行為を行わねばならなかった。
 フレイはルーカスと性交するなどあの思い出作りで十分だった。でなければ心臓がもたない。


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