「ねえユキ、カエル」
 しとしとと粒の大きな雨が降る。傘からはみ出た足元やリュックにシミができていた。雨のお陰か気温はそこまで上がらないが、梅雨の重くじとっりとした湿気がまとわりつく。
「は? なに」
「カエルがいる」
 ただでさえ陰鬱な梅雨の気候に気分は下がり気味だというのに、幸成の双子の弟である成幸のどうでも良い事で足を止められた。現在時刻は八時十分。ここから学校までは歩いて十分ほどかかる。間に合わないことはないがもともと成幸の寝坊があって予定よりも遅れ気味だ。幸成はこれ以上時間を奪われたくないのが本音だった。
「雨が降ってればカエルくらい居てもおかしくないだろ。マサ、こんなとこで油売ってる時間ないんだぞ。先行ってもいいのか?」
 ため息をついてみせる。成幸には伝わらないだろうと分かっていたが、理解させる時間の方が惜しい。
 成幸は困ったような悲しいような変な顔をした。嫌な事があるとすぐこの顔になる。
「やだ。一緒に行く」
「ならカエルはほって急いで学校だ」
「でもカエル……」
 成幸は幸成とカエルを交互に見た。決めかねているようだ。さらに幸成は決断を迫る。
「俺とカエルどっちがすき?」
「ユキがいちばん」
「なら俺のためにも早く学校行くぞ」
「……うん。カエル持ってってもいい?」
 諦められないと言う縋るような視線を幸成は受け流した。まともに付き合う時間は残されていない。
「ダメだ。後でギュッてしてやるからガマンしろ」
 そういうと後は早かった。成幸は顔が緩むのを抑えるためか、眉間にシワを寄せた硬い表情で黙々と幸成の前を歩いていた。


 二人はチャイムよりも早く教室に着くことができた。双子ということもあり、当然クラスは別々。幸成からするとどうということはないが、成幸にとって授業中は辛く、一日の中で最も長い時間だという。理由は至極簡単で、幸成と離れ離れになるからだ。先ほど幸成と交わした約束は果たされず、不満気に仏頂面をしていることだろう。
 ようやく昼休みに入った。ざわざわと気の緩んだ生徒の声が聞こえ出す。
 誰よりも早く教室のドアを開けたのは成幸だった。腕をつかまれたかと思うと、既に教室を連れ出されていた。
「ちょちょちょ、まってストップ! 弁当おいてきた!」
「もーユキはおっちょこちょいなんだから。おれがとってくるから、ユキは先に上に行ってて」
「別のクラスのお前が行くより俺が行った方が自然だと思うんだけど」
「わがままはだめ」
 幸成からすればわがままを言っているのは成幸だ。だが、頑固な成幸が意見を変えるとは思えない。幸成はすんなりと諦めて、成幸に弁当箱を取りに行かせた。そして幸成自身は、昼休みは誰も使わない、科学室へと向かう。
 朝方降っていた雨は、いつの間にか止んでいた。静かな教室で幸成はじっと成幸を待つ。お互いスマートフォンは持っているが、普段から成幸はカバンの中に入れっぱなしにしているため、連絡には使えない。
 四角く硬い木の椅子を、幸成は座りながら揺らす。後ろに体重をかけては前に移動し、椅子の足を不規則に宙に浮かせた。
 ガラガラと戸が開く音がして、成幸が二つの弁当と水とうをもって幸成の隣に座る。
「おまたせ。お腹すいたね」
「お前が急かしたせいで無駄に昼休みが減った」
「ごめんね? だって早くユキと二人っきりになりたかったんだもん」
 こういったことをたとえ他人の視線があろうと、成幸はは平気で言ってのける。幸成はそれが恥ずかしくて嫌だった。双子でそんなに執着して、気味悪がられないか心配だった。
「……メシ、食べるぞ」
「うん」
 同じメニューの昼食を済ませても、昼休みはまだ十五分は残されていた。その後はすることもなく、ひたすら成幸が幸成を後ろから抱き付いているだけだ。
「あ! ユキ、おれまだギュってしてもらってない。ギューは?」
「今してるしいいだろ?」
「よくない。だってこれはおれがユキをギュってしてるだけで、ユキは全然してくれてない」
 唇を不満げに突き出して成幸はより腕の力を強めた。
「いたいいたい、こんなんじゃ俺からできないだろ!」
「あ、そっか」
 気付かなかったと成幸が手を離し、ようやく幸成は解放される。少し痛む腕を擦り、行動と眼力で成幸を戒めた。
 そして幸成は振り返り、成幸を対面する。安全を確認した上で、成幸の椅子に、彼にぴったりと跨がるようにして座った。僅かな椅子との接地面積では不安定で、幸成は成幸に抱きついていなければ後ろへと落ちそうになる。
「ん〜ゆき、すき〜〜〜」
 そう言うと成幸は幸成が抱きしめる力よりも強く幸成を抱き込んだ。股同士を押し付けあっているせいか、変な気分になりそうだった。
「椅子狭いな……」
「ゆきといっぱいくっつけるからおれはこれでいい」
「結構ひやひやしてんだけど。絶対離すなよ」
「はなさないよぉ」
 成幸の額が幸成の肩をぐりぐりと撫でる。そのまま成幸の唇は幸成の首筋を食み、熱く甘い吐息を漏らした。
「コラ、発情するな」
「ユキがかわいいんだもん。ちゅーしたい」
 幸成が返事をする暇なく二人の唇は縫いとめられ、深く交わる。引き離そうにも後ろへ落ちてしまいそうで、幸成にはそれができなかった。行為自体が嫌なのではなく、誰とも知れぬ者に見られる可能性がある学校という場所でするのが嫌だった。
 成幸は気にしていなかったが、幸成はこれが普通ではないことも、既に子供の戯れでは済まないことも理解していた。
 やんわり成幸の唇を噛んで静止を求めるが、余計に深さを増すだけだった。諦めかけたその時、幸成の股間に熱いものが押し付けられていることに気付いた。当然、成幸の身体だったが、部位が問題だった。
「ばっか……!」
「たっちゃった、へへっ」
「離して。おりる」
 後戻りできる最後のチャンスだ。幸成は机に手をついて立ち上がり、成幸から距離をとる。一歩後ろに下がると成幸に腕を掴まれた。振りほどこうと幸成は腕を返そうとする。
「だめだって」
「やだ……ごめんなさい……ユキ、行かないで……」
 成幸の、あるはずのない犬の大きな耳がぺちゃんと垂れ下がり、落ち込んで見える。どうしても最後には甘やかしてしまう幸成には、これ以上成幸を遠ざけることができなかった。深いため息を一つ吐き、ペシっと成幸の額を叩く。
「ばかたれ。学校でエロいことはしないって約束しただろ」
「ちゅーはいいの?」
「ダメ。ホントはダメ。基本的俺たちがこういうことしていいのは家だけなの。分かってる?」
 納得のいっていない顔で成幸が頷いた。これ以上幸成を怒らせまいとした行動だろう。
「分かってないだろ、もー」
 そういえばと思い壁掛け時計を見るとあと数分もしないうちに予鈴がなる時間だ。理性は保っていたが、甘ったるいでれでれとした気持ちから、一気に覚醒させられる。
「やっば、もうこんな時間じゃん。マサ、それどうにかしろ。鎮めろ。もうちょっとで予鈴鳴るぞ」
「うーひどいよぉ。ユキが居たらおれたっちゃうもん……」
「なんだよ、俺のせいみたいに言うなよ。適当にトイレでも行ってマスかいてろよ」
 心外なことを言われ、むかっ腹が立つ。成幸など知らないと放っておきたくなった。だが、それをすれば確実に成幸は泣き出しそうな顔をするのが目に見えている。
「ごめんなさい……ちがうの……ユキがすきだから、勝手にたっちゃうの……ユキがすきすぎるおれがわるいだけだから、怒んないで……」
「分かってんならさっさとどうにかしてこい」
「……おうち帰ったら、いっぱいいちゃいちゃしてくれる?」
 精一杯の譲歩のつもりなのか、まったく幸成のメリットがない提案だ。本日何度目かのため息を吐き、しょんぼりとした成幸の頭にチョップをかました。
「ばかたれ。家の中でいっつもお前がひっついてきてるんだから変わんないだろ。ほら、抜くんなら早くしないと時間なくなるぞ? トイレ行ってこい」
「うん! でも、おれユキのこと考えたらすぐでちゃうから大丈夫だよ!」
「ばか! 行ってこい!」
 立ち上がった成幸の背中を叩き、教室から追い出した。おいて行かれた成幸の弁当は、仕方なく、幸成が自分の教室まで持っていく。
 自席について、熱量のある吐息を漏らす。伝染しそうになった身体を抑え込んで午後の授業をこなしていった。


end

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頭のネジがおかしい子が好きなのですが、難しいです。
夏コミペーパーでした。


08/11/16