隼人は何度も何度も手を伸ばそうと右手を彷徨わせた。届く範囲にあるにも関わらず、どうにも勇気が出ない。物欲しそうに見つめるしかなかった。
 先月の初めに隼人は健二と付き合うことになった。何となく「じゃあ付き合おうか」と健二が言ってきたのだ。隼人も健二の隣にいることが自然過ぎて、関係に名前を付けるだけだと思い頷いた。
 それまでは友情というには近すぎるが、何と名付ければ良いのか分からず空白にしていた。だが、そこに穴埋めしようとも以前と大差ない日常が続いている。
 殆ど毎日のようにお互いの家を行き来して、テレビを見たりゲームをしたり漫画を読んだり。時にはただゴロゴロと狭いベッドで二人、微睡むだけの日もあった。
 文句があるわけではない。健二の側に居るだけで隼人の心はどこか満たされるような気がしたし、それだけで満足していた。ただ、少しだけ恋人らしいことをしたかった。今までと同じでは恋人である意味があるのかと健二に聞きたくなるのだ。
 かと言ってそこで別れるかと言われればそれをしたくはない。隼人は健二と付き合えて良かったと思っているし、前よりも好きと言う気持ちが大きくなった。それだけではなく独占欲が出てきたのか、健二が他人と話すのが少し不満だ。「話すな」などと日常に支障が出ることは言えない。
 健二は家の離れに部屋を持っていた。離れと言っても六畳ほどのプレハブ小屋だ。おかけで誰とも会うことなく部屋に入れる。やましい事をしている訳ではないが、付き合いだしてからは恥ずかしさと申し訳なさがあり会いたいと思えなかった。
「オジャマシマス」
「適当にくつろいどいて。飲みもんとってくる」
 健二は鞄を置くとすぐに部屋を出てしまった。隼人は落ちていた座布団を拾いベッドの下に置いて座る。深呼吸すれば胸いっぱいに健二の匂いが広かった。鞄を隅に追いやり上半身だけベッドに倒れ込んだ。落ち着きと幸福感まで湧いてくる。このまま寝れたらさぞかし幸せだろうと隼人は思った。
 付き合い出してからどうにも隼人は健二を意識しすぎてしまう。友人から恋人へたかだか名前が変わっただけで、こんなにも苦しくなるのはなぜだろう。好きと言う気持ちは同じ筈なのに。
「お待たせ」
 程なくして健二は飲み物とお菓子を持って戻ってきた。ちゃぶ台の上にお盆ごと乗せて、ベッドから顔を上げていた隼人の隣に腰をおろした。
「ねむいのか?」
「別に違うけど。ただちょっとゴロゴロしたかっただけ」
「そうか」
「うん……」
 わずか十センチ程度の距離なのに手を伸ばせず、隼人はコップを掴んだ。冷たいウーロン茶を喉に流し込む。内側からひんやりと、冷静さを取り戻そうとした。
「ゲーム、こないだの続きするか?」
 静かになりかけたその前に健二が口を開く。少しの緊張で言葉が見つからなかった隼人には有難かった。
「うん。進めた?」
「いや、レベル上げだけしといた」
「お、サンキュー。それなら次の中ボスも楽勝だね」
 健二にゲームを起動させ隼人は素早くコントローラーを握った。元々隼人がやりたがっていたゲームで、ハードがない隼人のために健二が自分もやるからと言って買ってくれたのだ。
 ゲームがきっかけて仲良くなった二人の間では、ソフトの貸し借りはしょっちゅう行われていた。健二の方がバイトをしていることもありハードもソフトも多く持っている。
「あーそうそう、ここねここ。館に行けばいいんだよね?」
「そう。ひたすら右方向に行けばあるから。アイテムも補充しといたしいきなりボス行っても平気」
「さすがけんちゃん! いい接待するねー」
 言われた通り、主人公を右に進ませ何度か戦うと館が現れた。ザ洋館と言ったグラフィックでいかにも強い敵が住んでそうだ。
「これ地下?」
「そうじゃない? アイテムあるだろうし全部屋まわったら?」
「そうしよっか」
 セーブポイントもあり、回復は問題ない。隼人はちらりと横目で健二を見た。テレビをまっすぐ見つめていて、その真剣な瞳に少しキュンときた。ずっと見ていたかったが視線をテレビに戻す。
 アイテムも取り終え、どうやら本当に地下だったようで一階で見つけた怪しい扉の前に引き返した。
「いい? 入るよ?」
「おう、いけいけ」
「あーなんか緊張する!」
「レベル十分あるし平気だろ」
「分かるけど! 緊張すんじゃん、ボスだよ?」
 隼人は本番になると途端に緊張し出す質だ。練習ではへでもない顔をするのでたまに驚かれる。心臓がバクバクと鳴り出し、手に変な汗をかく。何度か深呼吸をしてから中に入った。薄暗いステージで幾度か階段を下りると広い部屋に着いた。
「うわー絶対いるよここだよ」
「大丈夫。ここまだそんな強くないから」
 健二の言う通りまだまだ中ボスレベルで、怖がる要素はない。勇気を出して少し進むといかにも悪そうな顔をしたキャラクターが現れた。音声付きの簡単なムービーが終わるとすぐに対戦モードに切り替わる。
「とりあえず防御力魔法であげてガンガン攻めればいいよね……」
「上げなくてもいけるだろ。コイツ魔法より物理攻撃のほうが効くらしいからそれでもいいが」
「え、そうなの? もう調べ済み? ならガンガン仲間に魔法使うわ」
 防御と回復にMPを消費して、新品の剣で相手のHPを削った。徐々にボスのゲージは色を変え後数回攻めれば勝てるところまで来た。こちらはまだまだ余裕がある。それでも隼人は最後まで気を抜かず、心臓を早く鳴らしながらボタンを連打した。
「よっしゃー! かった!! けんちゃんかった!」
 隼人はコントローラーを手放しまるでラスボスに勝ったかの様に万歳して喜んだ。そのまま笑顔で健二を見ると口元と目元が優しくなっていた。
「ほらな、全然余裕だったろ?」
「うん! 誰も死ななかったしよかった!」
 頑張ったというようにポンポンと頭を健二に撫でられる。嬉しさとドキドキより恥ずかしさの方が少し勝って、隼人は顔が見られないように頭を下げた。熱くなった顔は見せたくない。
 変に思われたかもと不安になったが、ゲームに集中しようと上目遣いになりながらキリを良くするため次の町まで進めた。セーブをして電源を切り、チャンネルを回す。適当なニュース番組を流し隼人はウーロン茶を飲んだ。
「もう結構時間たってたんだねー」
「うちで飯食ってくか?」
「うんにゃ、悪いし。夕飯前には帰るよ」
「そうか」
「うん、ありがとねー」
 手持ち無沙汰でフローリングの境目を撫でてしまう。健二のコップはまだ半分以上ウーロン茶が残っている。隼人がコップをぼんやり見ていると、持ち上げられ健二の口元へと運ばれた。傾きながら減っていく中身とゆっくりと動く喉。縁が唇から離れると水分を得ててらてらと電球の光が反射していた。
 隼人は触れたくなる衝動を抑え、ギュッと拳と瞼を閉じた。
 友人だった頃はなんとも思わなかった筈なのに、健二から奪いたいものが増えた。唇も、手の感触も、熱もすべて欲しくて触れたいと思った。
「なあ、隼人」
「んー? なあに?」
 精一杯普通を装った。いつもの自分でなければならない。きっと独り善がりの感情だから。
「キスしていいか?」
「うぇ!? え、えっ? 何もう一回。俺聞き間違えたかも」
 隼人は自分の願望からくる幻聴かと自分の耳を疑った。健二がそんなこと言うはずがないと頭が否定する。
「キスしても、いいか?」
「えっ……あ……、う……えっと……あの……」
 耳は正常に機能していた。答えない隼人は少し悲しそうな顔を見せる健二に言ってやりたかった。ただ心の準備ができていないだけなのだと。何度も何度も触れたいと願っていたのだ。いきなりキスからというのはとても心臓が持ちそうになかった。
 考えただけでこうなってしまうのに、実際に触れ合ったらどうなってしまうのだろうか。不安しか出てこないが、何か言わなければ健二に勘違いされる恐れがある。詰まっている喉からどうにか言葉を吐き出した。
「あの! あのっ、ヤじゃ……ないです! でも、あの……俺にはそのまだちょっと早くて……。だから、その……手! 繋いでからじゃ、だめ?」
 中学生に戻ったみたいだ。いや、最近の中学生でもこんなに緊張しないんじゃないかと隼人は思った。自慢じゃないが既に去年付き合っていた彼女と何度かキス以上のことをしてきたし、今更こんなにウブになることはないだろうと自分自身に呆れる。健二にも呆れられているに違いない。
「あー、ごめん。なんか俺変だわ」
「確かに最近のお前変だな。ほれ、おて」
 隼人は反射的に手を伸ばしてしまった。一度だってそんなことされたことが無いのに。
 触れた健二の手は隼人よりも冷たく、少しかさついていた。
 健二が手首を回して、ぎゅっと隼人の手を握ってくる。そう身長は変わらないのに健二の方が手が大きいと分かった。
 目の前の恋人繋ぎをしてる自分の手が他人のものの様に思えて、隼人は不思議な気持ちになる。肩までつながっているのを確認して漸く自分のものだと確信できた。その瞬間から顔面にどんどん熱が溜まっていく。
「う……あっ」
「お前の手あったかいな」
「……けんちゃんは冷たいね」
「丁度いいな、俺たち」
 にぎにぎ手の感触を確かめあう。ピークを過ぎると徐々に隼人の心臓がこの状況になれてきた。
「どーしよ俺……けんちゃんのこともっと好きになったのかも……。なんかやだ、すげーはずかしい!」
 恥ずかしすぎてあいている手で顔を隠す。両手を使いたかったが握られていて外せなかった。子供でも簡単に解ける強さだ……離せないだけだった。
「俺も隼人のこと好きだ」
「そういうこと簡単に言わないで! また心臓が悪くなる」
「なんだ緊張してるのか? ならきっと、ちょうどいい速さだよ」
 掴まれた手は健二の胸に運ばれる。隼人よりも早い鼓動が、表情とはマッチしてなくて思わず笑った。

end

***
高校生です。隼人は夏休みとかにはバイトしてますが、基本的にしてません。
多分、会いやすいようにと思ってやってないのかと。


06/22/13